SHUWAN All Rights Reserved.
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稲作が始まり、食生活が大きく変わったこの時代の土器は、
高温で薄く硬く焼かれた、シンプルで実用的なものでした。
酒器には素焼の杯「かわらけ」が用いられ、
儀式や祭事でも重要な役割を果たすようになりました。
神事と日本酒と杯との関係は、ここから現在に続きます。
古墳時代(500年頃)に朝鮮半島から伝わった須恵器は、
水分が滲みづらく、その実用性の高さから、
奈良時代には日常的に用いられるようになりました。
この頃より、お酒を飲むための器を坏(つき)、
または酒坏(さかづき)と呼ぶようになりました。
食生活の多様化から食器の種類が増えた平安時代には、
宮中や貴族の間で大陸から伝わった漆塗りが珍重され、
酒器にも漆器の杯が使われるようになりました。
また、宮廷文化の中では華麗な陶器の杯も発展しました。
鎌倉時代になると宋の製陶技術が伝来し、
青磁、白磁、陶器といった高品質な陶器が国内でも多く生産されるようになり、
六古窯と呼ばれる瀬戸、常滑、信楽、丹波、備前、越後が生産地として発達。
形状や装飾の多様化に加え、各地域の窯元独自の技術や意匠も発展しました。
茶の湯文化が隆盛を極め、美しい陶器や漆器の酒器が数多く作られました。
当時も酒を飲む際には酒杯が使われていましたが、
茶懐石の際、小径な酒杯で酒を飲むのが煩わしくなった武士が
向付(食器/小鉢)で酒を飲み始めたのが、ぐい呑みの起源とされています。
この時代より、向付や碗などを見立てによって
「大振りで深めの酒杯」として用いるようになりました。
このような酒器が、明治以降に「ぐい呑み」と称されることとなります。
江戸時代の初期に庶民の間で一般的だった日本酒は、
「どぶろく」でアルコール度数も低かったため、
比較的容量の多い直径10cmほどの向付が、酒器として使われるようになりました。
中期~後期には、酒造技術の向上によってアルコール度数が高まり、
さらには「どぶろく」からもろみを搾った「清酒」が飲まれるようになります。
味わいが濃醇になっていくことに合わせて、
中期は7.5cm程度の向付、後期は4.5cm程度の猪口という具合に、
だんだんと小さい口径の器が使われるようになっていきました。
また、江戸時代に陶磁器は画期的な発展を遂げ、
庶民文化の中にも様々な意匠の酒器が普及することとなります。
明治時代に入り、茶人や実業家たちが
各地で酒器として使われていた杯や猪口を収集するようになり、
その中でも大振りで深めのものを「ぐい呑み」と呼ぶようになりました。
その後、大正時代に北大路魯山人が抹茶碗の様式や技法を引用し、
現在私たちが目にする、抹茶碗のミニチュアのような
ぐい呑みのスタイルを確立したと言われています。
戦中や戦後は、物資不足から日本酒造りが工業的なものにならざるを得ず、
低価格大量生産の時代が昭和の後半まで続きます。
それに伴い、日本酒を飲むための器も安価なコップや
プラスチックの枡といった簡易的なものへと変化していきました。
1970年代に入ると、戦前から研究されてきた華やかな吟醸酒が一般化され、
高品質な日本酒を作家ものの酒器や骨董で嗜むという、豊かな文化も再燃しました。
派手なものが好まれたバブル期の名残と、欧米文化に対する
憧れが相まって、2000年頃からワイングラスで吟醸酒を飲む
というスタイルが生まれました。
日本酒のトレンドがよりフレッシュで軽やかな味わいのものへと
シフトしていく中で、ぐい呑みやお猪口よりも大ぶりなワイングラスで
日本酒を飲むことが、ひとつの定番とも言える選択となりました。
それは、江戸時代に起こった「味わいが濃醇になったことによって
酒器が小さくなった」ことと同種の現象だとも言えます。
2010年頃から「農業」「伝統」「地域性」を重要視し、
様々な活動を実践する酒蔵が増加してきました。
彼らが醸造した日本酒は、文化的にも、味わい的にもワイングラスには
不向きであった為、2022年に、新たな酒器「酒碗」が誕生しました。
抹茶碗と同じく陶芸家渾身の作品である「酒碗」は、
「機能性」「芸術性」「文化性」が三位一体となった、
現代の洗練された日本酒に適した酒器だと言えます。
そして、新時代の日本酒基準を創るスタンダード酒器としてSHUWANが生まれ、
造り手と世界中の飲み手を繋ぎ始めました。