1. Online Shopご購入はこちら
  2. Professional飲食店・アカデミーはこちら
  3. BtoB酒蔵・販売店はこちら
  4. Rentalレンタルはこちら
  5. Contactお問合せ
ご購入はこちら

SHUWAN All Rights Reserved.

弥生
奈良
平安
鎌倉
安土桃山
江戸
明治
大正
昭和
平成
令和

History 酒器の歴史を辿る

弥生 B. C.300~A.D.300

鉢形土器

出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/J-11464?locale=ja)をトリミングして作成

神事と酒と杯

稲作が始まり、食生活が大きく変わったこの時代の土器は、
高温で薄く硬く焼かれた、シンプルで実用的なものでした。
酒器には素焼の杯「かわらけ」が用いられ、
儀式や祭事でも重要な役割を果たすようになりました。
神事と日本酒と杯との関係は、ここから現在に続きます。

奈良 710~794

高坏(口径11.5 / 高さ15.3)

画像出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/J-13267?locale=ja)をトリミングして作成

酒杯さかづき

古墳時代(500年頃)に朝鮮半島から伝わった須恵器は、
水分が滲みづらく、その実用性の高さから、
奈良時代には日常的に用いられるようになりました。
この頃より、お酒を飲むための器を坏(つき)、
または酒坏(さかづき)と呼ぶようになりました。

平安 794~1185

黒漆椀(高4.2 / 口径10.0 / 高台径3.5)

画像出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/TH-518?locale=ja)をトリミングして作成

漆器の酒杯

食生活の多様化から食器の種類が増えた平安時代には、
宮中や貴族の間で大陸から伝わった漆塗りが珍重され、
酒器にも漆器の杯が使われるようになりました。
また、宮廷文化の中では華麗な陶器の杯も発展しました。

鎌倉 1185~1333

青磁酒呑(高3.1 / 口径7.6 / 底径2.8)

画像出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/TG-2478?locale=ja)をトリミングして作成

酒杯の多様化

鎌倉時代になると宋の製陶技術が伝来し、
青磁、白磁、陶器といった高品質な陶器が国内でも多く生産されるようになり、
六古窯と呼ばれる瀬戸、常滑、信楽、丹波、備前、越後が生産地として発達。
形状や装飾の多様化に加え、各地域の窯元独自の技術や意匠も発展しました。

安土桃山 710~1568~1600

黄瀬戸酒呑(高5.3 / 口径7.5 / 底径4.4)

出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/G-5313?locale=ja)をトリミングして作成

ぐい呑みの起源

茶の湯文化が隆盛を極め、美しい陶器や漆器の酒器が数多く作られました。
当時も酒を飲む際には酒杯が使われていましたが、
茶懐石の際、小径な酒杯で酒を飲むのが煩わしくなった武士が
向付(食器/小鉢)で酒を飲み始めたのが、ぐい呑みの起源とされています。
この時代より、向付や碗などを見立てによって
「大振りで深めの酒杯」として用いるようになりました。
このような酒器が、明治以降に「ぐい呑み」と称されることとなります。

江戸 1603~1868
[初期]

古染付捻文酒呑(高4.9 / 口径9.5 / 高台径3.7)

画像出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/TG-2559?locale=ja)をトリミングして作成

酒造技術の進歩と酒器の変化

江戸時代の初期に庶民の間で一般的だった日本酒は、
「どぶろく」でアルコール度数も低かったため、
比較的容量の多い直径10cmほどの向付が、酒器として使われるようになりました。

[中期]

灰釉酒呑

画像出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/G-5330?locale=ja)をトリミングして作成

中期~後期には、酒造技術の向上によってアルコール度数が高まり、
さらには「どぶろく」からもろみを搾った「清酒」が飲まれるようになります。

[後期]

鴻池家伝来永楽関係資料 染付松竹梅捻紋猪口(各口径5.3 / 器高6.2 / 高台径2.6)

画像出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/collection_items/kyohaku/G%E4%B9%99140-28?locale=ja)をトリミングして作成

味わいが濃醇になっていくことに合わせて、
中期は7.5cm程度の向付、後期は4.5cm程度の猪口という具合に、
だんだんと小さい口径の器が使われるようになっていきました。
また、江戸時代に陶磁器は画期的な発展を遂げ、
庶民文化の中にも様々な意匠の酒器が普及することとなります。

明治/大正 1868~1926

赤志野ぐい呑み(各口径5.2 / 器高4.5 / 底径3.3)

ぐい呑みの確立

明治時代に入り、茶人や実業家たちが
各地で酒器として使われていた杯や猪口を収集するようになり、
その中でも大振りで深めのものを「ぐい呑み」と呼ぶようになりました。
その後、大正時代に北大路魯山人が抹茶碗の様式や技法を引用し、
現在私たちが目にする、抹茶碗のミニチュアのような
ぐい呑みのスタイルを確立したと言われています。

昭和 1926~1989

枡にグラス(口径6.5 / 器高10.0)

日本酒激動の時代

戦中や戦後は、物資不足から日本酒造りが工業的なものにならざるを得ず、
低価格大量生産の時代が昭和の後半まで続きます。
それに伴い、日本酒を飲むための器も安価なコップや
プラスチックの枡といった簡易的なものへと変化していきました。
1970年代に入ると、戦前から研究されてきた華やかな吟醸酒が一般化され、
高品質な日本酒を作家ものの酒器や骨董で嗜むという、豊かな文化も再燃しました。

平成 1989~2019

ワイングラス(最大径7.3 / 器高20.3)

日本酒器の混沌

派手なものが好まれたバブル期の名残と、欧米文化に対する
憧れが相まって、2000年頃からワイングラスで吟醸酒を飲む
というスタイルが生まれました。
日本酒のトレンドがよりフレッシュで軽やかな味わいのものへと
シフトしていく中で、ぐい呑みやお猪口よりも大ぶりなワイングラスで
日本酒を飲むことが、ひとつの定番とも言える選択となりました。
それは、江戸時代に起こった「味わいが濃醇になったことによって
酒器が小さくなった」ことと同種の現象だとも言えます。

令和 2019~

織部琳派龍図 天酒碗(口径9.0 / 器高7.0)

日本酒新時代

2010年頃から「農業」「伝統」「地域性」を重要視し、
様々な活動を実践する酒蔵が増加してきました。
彼らが醸造した日本酒は、文化的にも、味わい的にもワイングラスには
不向きであった為、2022年に、新たな酒器「酒碗」が誕生しました。
抹茶碗と同じく陶芸家渾身の作品である「酒碗」は、
「機能性」「芸術性」「文化性」が三位一体となった、
現代の洗練された日本酒に適した酒器だと言えます。

SHUWAN(口径8.0 / 器高6.6)

そして、新時代の日本酒基準を創るスタンダード酒器としてSHUWANが生まれ、
造り手と世界中の飲み手を繋ぎ始めました。